福井県小浜市 観光・宿泊ガイド |
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〒910-0241 福井県小浜市遠敷1丁目 |
小浜市観光協会 TEL0770-53-1111 |
海に抱かれた歴史と文化の街、オバマ市へようこそ! |
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国宝明通寺や神宮寺など130余りの由緒ある古寺が点在する福井県小浜市(オバマ市)はまさに文化財の宝庫です。また日本海の荒波に浸食された6kmにも及ぶ海岸線は、蘇洞門めぐり遊覧船などで景観を楽しめます。小浜の最大の自慢はなんと言っても若狭の幸。日本海で獲れた新鮮な海の幸を思う存分お楽しみ下さい。
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若狭小浜の観光スポットで歴史とグルメを満喫しましょう |
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蘇洞門めぐり |
JR小浜駅 |
フィッシャーマンズワーク |
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◆ 交通のご案内 |
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JR福井駅からJR小浜駅まで、国道8号線と国道27号線を経由して約104q |
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福井ICから小浜ICまで、北陸自動車道と舞鶴若狭自動車道を利用した場合約91q |
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北陸自動車道敦賀JCTから舞鶴若狭自動車道小浜ICまで約38、8q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICからJR小浜駅まで約2、7q、小浜西ICからJR小浜駅まで約8、8q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから道の駅若狭おばままで約300m |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから小浜市まちの駅まで約2、4q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから蘇洞門巡りの遊覧船乗り場まで約3q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから食文化館・濱の四季まで約3、3q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから小浜公園(3丁町入り口)まで約3、4q |
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JR小浜線で敦賀駅から小浜駅まで約1時間、東舞鶴駅から小浜駅まで約50分 |
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JR小浜駅から小浜市まちの駅まで約300m |
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JR小浜駅から道の駅若狭おばままで、小浜市役所〜南川大橋を経由して約2q |
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JR小浜駅から小浜公園、古い町並み3丁町まで、小浜まちの駅〜人魚像を経由して約1、4q |
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JR小浜駅から蘇洞門巡りの遊覧船乗り場まで約1、3q、おばま食文化館まで約1、6q |
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JR小浜駅から小浜城址まで約1、3q、GOSHOENまで約2、6q、小浜総合公園まで約2、8q |
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■ 道の駅 若狭小浜 |
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舞鶴若狭自動車道の小浜ICから約300mの位置にある「道の駅若狭おばま」(営業時間:9:00〜18:00 年中無休)。地元のお魚や野菜に工芸品、銘菓などの特産品や名産品の販売の他、フードコート「若狭の里山里海つながるキッチン」では、ご当地バーガーやソフトクリームなどが楽しめます。同じ敷地内にある、レストラン「和久里のごはんや おくどさん」(営業時間:11時〜15時、毎月末定休)では、地元の食材をふんだんに使ったランチも楽しめます。 |
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■ 小浜市まちの駅 |
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平成28年5月1日に小浜市の中心部、JR小浜駅から500mの位置にオープンした「まちの駅」は、明治時代の芝居小屋を復原した小浜市指定文化財「旭座」と、特産品販売コーナー、観光案内所、イベントを行える広場からなり、小浜市内のまち歩きの拠点として整備されました。小浜まちの駅の広場では毎年11月下旬から12月25日のクリスマスまでの期間、小浜市まちの駅クリスマスイルミネーション が開催されます。 |
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放生祭(ほうぜまつり)は、300年以上の伝統を誇る小浜市八幡神社の秋の例大祭です。神輿や大太鼓・神楽・獅子・山車などの出し物が、おばままちの駅の周辺を2日間巡行し、芸や囃子を披露します。祭りの出し物は小浜城下の町人居住区であった24区が担当し、隔年で12区づつが出ています。各地区では祭りの本日(ほんび)を迎えるまで、8月の後半から子供達、大人達が集まり、約1ヵ月間の稽古を行います。大人と子供が一体となり小太鼓、大太鼓、笛、掛け声が一つになった囃子の高揚感は最高です。放生祭は、将来を背負う子供達の健全な成長と小浜市の地域の活性化に大きな役割を果たしているお祭りでもあります。 |
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■ OBAMA CITY ROUND BUS (小浜市周遊バス) |
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5月から11月までの土曜日、日曜日、祝日に、道の駅、海の駅(食文化館)、まちの駅(旭座前)、JR小浜駅、人魚の浜(三丁町)を、1日5回、約1時間おきに周遊するレトロバスです。日本遺産「鯖街道」のイメージカラー、緑をベースにしたレトロな雰囲気を持つ車両が、コンシェルジュの案内付きで無料で乗車出来ます。 |
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JR小浜駅から約1、7q、食のまちづくりのための拠点施設として、小浜市が建設した御食国若狭小浜食文化館。2Fには小浜市の伝統工芸体験施設、別館には展望露天風呂や薬湯を備えた温浴施設『濱の湯』があります。また食文化館の隣には、地元で獲れた新鮮な海産物を使った郷土料理を提供するレストラン、『濱の四季』があります。 |
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山海の幸も豊かな小浜市は、遙か古代から大陸との交易を行い、(若狭は朝鮮語のワカソ ※往き来 が訛って宛字された地名)、大陸や京都・奈良の文化を受けて、約130の神社・仏閣が点在しています。国宝や重文の指定を受けた仏閣・仏像も多く、海のある奈良(奈良は朝鮮語のナラ ※都 から宛字された地名)とも称されています。 |
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■ お水送りの神事 |
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毎年3月2日に行われる小浜市神宮寺の「お水送り」は、奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事で、3月12日に奈良東大寺二月堂で行われる「お水取り」に先がけて行われる神事です。午後6時から神宮寺のお堂で修二会が営なまれたあと、神宮寺境内の大護摩に火がともされ、午後7時30分より、神宮寺から鵜の瀬までの約2kmの道路で松明行列が始まります。鵜の瀬に到着後、住職が送水文を読み上げ、邪気払いをし、香水を遠敷川に流します。(お水送り当日は、神宮寺手前の臨時駐車場より、行きは神宮寺まで、帰りは鵜の瀬の駐車場から最初の臨時駐車場までのシャトルバスが運行します) |
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■ 常高寺 |
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織田信長の妹であるお市の方の三姉妹の次女として生まれたお初は、姉の淀君と妹の与江の姉妹の間で、豊臣と徳川の和睦につとめました。お初は(常高院)常高寺を創建して自らを常高院と号し、生涯を江戸で終えた後、常高寺に葬られています。山門の前にある石階段は、平成19年度秋から放映された NHK連続テレビ小説「ちりとてちん」の小浜ロケの撮影場所として利用されました。小浜公園付近の駐車場に車を停めて古い町並みを10分ほど歩いて行くと常高寺に行けます。 |
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■ 常高院(浅井初) |
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1568年(永禄11)近江小谷城主、浅井長政とお市の方の次女である初は、京極高次の夫人。姉は秀吉の側室の淀殿。妹は2代将軍となる徳川秀忠の妻、お江。1587年(天正15)の頃、大津宰相京極高次に嫁し、関が原の戦いには夫高次と共に、徳川方の味方として戦い、その功績を認められて、小浜藩主となりました。1609年(慶長14)夫高次の死去とともに出家し、栄昌尼と名乗り、大阪の冬の陣では徳川家の使者として淀殿を説得し和平を成立出来ましたが、夏の陣では反対に豊臣家から依頼されて、家康に豊臣家との和平を申し出ましたが成りませんでした。1630年(寛永7)槐堂和尚を招いて開山とし、常高寺を建立。1633年(寛永10)8月27日、京極忠高の江戸屋敷(現・東京都港区虎ノ門)で死去、享年64。墓所は常高寺。常高院栄昌尼公の石塔を中心に、尼公に仕えていた尼僧達の石塔が会席する形で並んでいます。 |
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■ 空印寺・八百比丘尼入定洞 |
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町並み保存地区近くの小浜小学校跡地に隣接して、空印寺というお寺があります。空印寺の敷地内には、人魚の肉を食べ、若く美しいまま八百年を生きたのち、全国を行脚し、貧しい人を助けたという八百比丘尼(はっぴゃくびくに)が、最後には入定し亡くなったと伝えられる伝説が残る洞窟があります。小浜公園付近の駐車場に車を停めて古い町並みや常高寺を過ぎていくと、空印寺に行けます。 |
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1600年(慶長5年)に入部した京極高次が、翌1601年(慶長6年)に築いた小浜城の城下町のひとつであった小浜西組は、小浜市街地の西方、小浜公園と後瀬山に挟まれて位置しています。東側は商家町、西側は茶屋町、西端と南の山麓は寺町として整備されていた西組は、現在も旧丹後街道に沿って、近世前期の古い町割りを残しています。建物は1888年(明治21年)の大火以後のものですが、伝統的建造物も残っていて、2008年(平成20年)6月10日には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。町制改正(明治 7年)以前は、柳町・漁師町・寺町からなる三丁町と呼ばれていた元茶屋町界隈に位置している小浜香取区の狭い路地は、町屋整備も行われ紅殻格子など風情漂う家並みが軒を連ねています。小浜公園付近の駐車場に車を停めて散策する事が出来ます。 |
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護松園は、北前船で財を成した古河屋が藩主などをもてなすために建てられた「旧古河屋別邸」と呼ばれる県指定有形文化財です。特別公開日以外入ることができない施設でしたが、2021年に小浜の老舗箸屋「株式会社マツ勘」さんによってイノベーションされ、近所の人や観光に来た人も気軽に集える場所「GOSHOEN」として生まれ変わりました。お箸屋さんのショールームにカフェが併設されています。 |
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◆ 交通のご案内 |
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国道162号線沿いにある西津コミュニティセンターの前の信号を海側に少し入った場所にあります。路地は狭いですが、GOSHOENから少し離れた位置に大きな駐車場が2ヶ所完備されています。 |
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■ 後瀬山城跡 16世紀(1522〜1600) |
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国道27号、後瀬山トンネル手前の後瀬山東交差点を右折し、すぐに左折すると愛宕神社の駐車場と鳥居があり、鳥居をくぐって石段を上がると後瀬山城跡の案内板が設置されています。ここから山へ上って行く登山道は、後瀬山城廃城後に主郭(本丸)に創建された愛宕神社への参詣道です。約30分位の山歩きで愛宕神社が建つ本丸跡に到着します。本丸跡には、当時の石垣や空堀など、城の基礎部分の遺構が良好に保存されていて、歴史を感じることが出来ます。 |
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【武田城址】 後瀬山に戦国の世を叶った山城が築城されたのは、大永2年(1522)のことです。当時の若狭守護武田元光は、すでに全国的にも飛躍をみせ、海外貿易をも視野にいれた小浜湊を望み、山麓に貫通する丹後街道を掌握する要衝の地にこの城の縄張りを行います。後瀬山城は標高168mの位置に石垣を配する主郭を置き、ここから山麓の現空印寺の位置にあった居館に通じる北側稜線と、現在の登山道に並行する東側稜線に、大小合わせて139ヶ所の曲輪と呼ばれる平場の防御施設を設けています。これら2本の稜線に造られる曲輪をつなぐ道が、北東谷間に幾本もみられ、「谷の横道」と呼ばれています。また北側稜線の先端には、畝状竪掘・竪掘などを設け、防御を固めています。このことは、丹後国主護一色氏と幾度と戦火を交えた若狭武田氏が、西の小浜の入り口(青井口)の防御を意識していたことを想定させます。城主は、築城した若狭武田氏五代 元光から、六代 信豊、七代 義統、八代 元明 へと継承され、若狭武田氏滅亡後は、織豊系武将の丹羽長秀、浅野長政、木下勝俊が相次いで入城し、若狭国を統治する拠点として存続しました。そして関ヶ原合戦後に入国する京極高次により、後瀬山城は廃城となり、新しく築城が開始される近世小浜城にその役目が引き継がれることとなります。 |
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■ 小浜城跡 (1641〜1871) |
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関ヶ原合戦の戦功によって若狭の領主となった京極高次が、慶長6年(1601)に北川・南川を天然の壕とし、小浜の海を背に難攻不落を誇る水城として築城を始めた。別名を雲浜城とも呼ばれる。寛永11年(1634)京極忠高が出雲に移封となり、酒井忠勝が武州、川越(埼玉県川越市)より若狭11万3千5百石の藩主となり、天守閣の造立に着手。宝永19年(1641)40余年余りの歳月をかけて小浜城は完成をみた。以来酒井家14代、237年間の居城となり、明治4年の廃藩置県を迎えます。明治4年(1871)12月、大阪鎮台分営設置の改修中に本丸櫓より出火、城櫓の大部分を焼失して、現在は城郭の石垣を残すのみとなっています。昭和31年3月12日、福井県史跡として指定を受け、城地に藩祖、酒井忠勝公を祀る小浜神社があります。 |
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【小浜城の逸話】 関ヶ原の戦いのあと、京極高次が小浜藩の新藩主となったが、後瀬山城に替わって新たに小浜城を築城したために財政が苦しかった。このため、大豆納の年貢1俵の基準を1俵あたり4斗から4斗5升に改めて増徴を図った。築城で多くの農民が駆り出されたこともあって領民の生活は苦しくなり、藩側に大豆納を元に戻すように要求したが受け入れられなかった。寛永11年(1634年)に京極忠高(高次の子)に替わって小浜藩主となった酒井忠勝も引き続き税制を維持したために人々の不満は高まった。そこで寛永17年(1640年)に入って、若狭国内252ヶ村の名主が集まって郡代官所に陳情を行うことになり、この年に名主となったばかりの松木庄左衛門他20名を総代として陳情を行った。以後、数十回にもわたって直訴を繰り返したために、承応元年(1652年)に総代全員が捕らえられ、獄中で厳しい拷問を受けた。だが、1人庄左衛門のみはこれを耐えて、獄中でもなお大豆納の引き下げを求めた。これに驚いた藩はやむなく大豆納を元の4斗に戻すことに応じたが、代わりに庄左衛門は同国日笠河原で磔に処せられ、28歳の命を終えたという悲しい逸話もあります。 |
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■ 小浜聖ルカ協会 |
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登録有形文化財の指定を受けている小浜聖ルカ教会は、明治30年に建設された煉瓦造の教会堂を昭和6年に改造し、煉瓦造の1階部に木造の礼拝堂が2階にのる形をした建物です。改造時の設計はバーガミニー、施工は奈良の大木吉太郎で、両者は聖公会の教会を多く手がけました。小浜聖ルカ教会は、その作風をよく示した一例とされています。 |
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■ 福井県立若狭歴史博物館 |
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常設展示の若狭のみほとけブースでは、四方から鑑賞できる独立ケース展示や複製像の露出展示など、博物館ならではの手法によって、その迫力と美しさを紹介しています。また、京極家と小浜藩、小浜藩主京極高次の正室、常高院(初)の生涯を紹介するコーナー、「サバ街道」で有名な都と若狭をつなぐ道をプロジェクションマッピングでダイナミックに体験するコーナーなど若狭小浜の歴史満載の博物館です。JR小浜線の最寄駅は東小浜駅で、駅から徒歩で約10分の道のりです。 |
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■ 若狭総合公園(こども公園) |
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25m温水プールやジャグジープールを備えた室内施設の他、多目的休養施設・散策路、民話伝承遊び場、 グラススキー場、トリム広場、 芝生広場、 あずまや、ゲートボール場がある総合公園。遠く海の眺めも楽しめます。JR小浜駅から小浜市の阿納、田烏方面に向う国道162号線で約3qの位置にあります。 |
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宮川地区は若狭梅街道の上野木交差点から東に約1km入った位置にある周囲を山々に囲まれた自然がいっぱいの地域です。平成28年、農地集約化による低コスト農業を目指し、「株式会社 若狭の恵」が設立され、大区画の田んぼで大型機械がうなりをあげて活躍しており、農業の先進地域として脚光を浴びています。春は菜の花、夏はひまわり、秋はコスモスの作付けも行い、県内外のお客様方にも見学に来て頂いています。特に毎年大好評の見渡す限りのひまわり畑は、7月20日〜8月20日頃に開花します。舞鶴若狭自動車道の小浜インターから若狭梅街道(県道24号線)で宮川地区への入り口にあたる上野木交差点まで約4、7km、上野木交差点からひまわり畑まで約1、3kmです。JR小浜線の最寄駅は新平野駅で、新平野駅からは上野木交差点を経由して、ひまわり畑まで一直線、約2、5kmの道のりです。 |
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◆ 交通のご案内 |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから宮川のヒマワリ畑まで、若狭梅街道の上野木交差点を経由して約6q |
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JR小浜線の新平野駅から宮川のヒマワリ畑まで、上野木交差点を経由して約2、5q |
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田烏(たがらす)は、国道162号線、小浜市と若狭町のちょうど境目辺りに位置する海沿いの小さな漁村集落です。鯖のなれずしの里でもある田烏は、海から山間にかけての斜面に美しい棚田があることで知られています。広大な棚田が、キャンドルの優しい光でライトアップされるイベント、田烏キャンドルが開催される時間中は、田烏産へしこやワカメ入りのおにぎり、焼き鳥、干し魚などのテント販売が地元の方によって行われます。また平成18年3月31日に開通した国道162号線の阿納尻〜田烏バイパスにある沖の石大橋の欄干や、釣姫トンネルの出入り口に設置されている美しい絵柄のレリーフは、二条院讃岐姫(にじょういんさぬきひめ)が平安時代に詠んだ小倉百人一首の歌をイメージしています。「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」 この歌に出てくる沖ノ石は、田烏の沖に浮かぶ小さな岩礁です。古来、若狭は大陸交易の中心地として栄え、また朝廷の食材をつかさどる御食国(みけつくに)としても重宝され貴族や寺院の荘園も数多くありました。讃岐姫の父、源頼政は、平家との戦いに敗れ、讃岐姫も当地へ流されたと伝えられています。 |
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◆ 交通のご案内 |
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JR小浜駅から国道162号線で阿納まで約7、5q、田烏まで約13、4q、若狭町食見まで約13、5q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから田烏まで、小浜市役所〜阿納〜犬熊〜志積〜矢代を経由して約15q |
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舞鶴若狭自動車道若狭上中ICから田烏まで約4、4q |
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舞鶴若狭自動車道若狭三方ICから田烏まで、鳥浜〜国道162号線〜世久見〜食見を経由して約16q |
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舞鶴若狭自動車道若狭三方ICから田烏まで、鳥浜〜若狭梅街道〜若狭トンネルを経由して約15q |
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小浜市阿納尻から若狭町塩坂越まで通じている林道若狭幹線は、関西圏在住のライダーには特に人気がある、若狭湾を高台から望める約20qの林道です。若狭湾の展望を目的に自家用車で行く場合は、小浜市の阿納尻三差路交差点近くにある若狭幹線入口から約5、8q林道を上って行けば展望台に到着します。若狭町の世久見側から展望台までの林道は、通行を遮るような道路の陥没箇所や道路に突き出した枝木が多数あり、注意と覚悟が必要です。同じく小浜市の阿納尻三差路交差点が入り口となるエンゼルラインは、途中小浜の町並みや小浜湾を望みながら久須夜ケ岳頂上付近まで通じる完全舗装された全長約10qのドライブロードで、頂上付近には大きな駐車場があり、お天気が良い日には気持ちの良い景色が楽しめます。(注意:頂上には自販機もトイレもありません) |
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◆ 交通のご案内 |
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JR小浜駅から阿納尻三差路まで、小浜市役所〜NTT前〜小浜総合公園前を経由して約5、8q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから阿納尻三差路まで、小浜市役所〜小浜総合公園前を経由して約7、5q |
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阿納尻三差路近くの林道若狭幹線入り口から若狭幹線展望台まで約5、8q |
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阿納尻三差路からエンゼルライン山頂まで約9、8q |
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■ 妙祐寺の枝垂桜 |
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平成4年、無縁仏の改修の折、妙祐寺の裏山に群生する竹藪を切り開いた所、見事な巨木が出現。妙祐寺の枝垂桜は平成9年に小浜市の天然記念物に指定され、毎年多くの見物客が訪れ、見る人々に感銘を与えています。毎年開花時期にはライトアップもされています。※妙祐寺がある小浜市中井地区の集落道は、とても狭く車で訪れる際には注意が必要です。国道27号線の湯岡橋東詰の交差点から国道162号線で名田庄方面に約5q進んで行くと、妙祐寺がある小浜市中井地区に着きます。 |
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◆ 交通のご案内 |
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JR小浜駅から枝垂れ桜の妙祐寺まで、湯岡橋東を経由して約8、3q |
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舞鶴若狭自動車道小浜ICから枝垂れ桜の妙祐寺まで、湯岡橋東を経由して約7、7q |
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■ 若狭西街道 |
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小浜市上野から高浜町の若狭高浜駅手前までの22、8kmを結ぶ広域農道で、小浜市側からは、明通寺入り口付近の上野地区からスタートし、国道162号線と交差して南川を渡り、勢斗の山間を走り、加斗付近では舞鶴若狭自動車道の下をくぐり、おおい町のあみーシャン大飯の横を通り、高浜町まで開通してます。高浜町側は大飯高浜インターと国道27号線を結ぶ県道まで繋がっています。 |
若狭会席料理が楽しめる若狭路の宿… ■ 若狭の宿きよや (若狭町) |
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