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敦賀市散策 天筒山展望広場

敦賀観光案内所    TEL 0770-21-8686

敦賀観光協会(社) TEL 0770-22-8167

敦賀湾の素晴らしい絶景も望める歴史ある山、天筒山の紹介

 

 敦賀市にある天筒山の山頂展望台からは西側に敦賀市街地、敦賀湾、敦賀半島、気比の松原、敦賀市の最高峰である野坂岳(標高913m)、東側には平成24年7月3日にラムサール条約に登録された中池見湿地(約25ha)や、北陸自動車道の敦賀トンネルなどをパノラマ感覚で眺めることができます。展望広場までの登山道は自然遊歩道として整備されていて、特に中池見湿地からのコースは気持ちよく歩くことが出来ます。

天筒山展望広場の様子 敦賀市TOP

 展望広場へは天筒入口(天筒山トンネルから敦賀市街地へ下りた位置にあります)から向かうコース(舗装された遊歩道)、金崎宮の社務所横から上がるコース(距離は短めですが急な階段あり)、金崎宮の奥にある月見御殿を経由して向かうコース(アップダウンがきつく距離もあるので疲れます)、中見池湿地内の古民家の建物横から向かうコース(緩やかで快適なコースですが月曜日と祝日の翌日は入口ゲートが閉鎖されていて入れません)があります。中見池湿地からのコース途中には、戦国時代に金ヶ崎城の枝城であった天筒山城(てづつやまじょう)の跡地であったことを示す説明プレートや、弥生時代の見張り台をもった村、奈良時代のお堂、平安時代末期の経塚などの遺跡が見つかった舞崎遺跡の説明プレートなどが設置されていて、この山が長い歴史と共にあったことを気づかせてくれます。

天筒山の登山コースと、金ヶ崎城、天筒山城の歴史紹介

天筒山

天筒山

天筒山

中池見湿地より約1.4km

天筒入口と中池見からの合流

天筒入口より約1.2km

天筒山

天筒山

天筒山

金崎宮

金崎宮の社務所横入口

天筒展望広場

金ヶ崎城跡、天筒山城跡

金ヶ崎城は敦賀湾に突き出た丘の上に築かれた中世の城である。周囲は埋め立てられたが、北、西、南の三方を海の囲まれ、東に連接する天筒山城に続く尾根にも要客(城戸)を設けた難攻不落の城であった。ここでは二度、歴史を動かす合戦が行われた。
一度目は南北朝時代、二年あまりにわたる金ヶ崎城争奪戦である。1336年(建武3/延元元)、足利尊氏が京で光明天皇(北朝)を擁立して室町幕府を開創し、後醍醐天皇は吉野に下がる(南朝)。そして新田義貞は後醍醐天皇の皇子尊良親王恒良親王とともに金ヶ崎城に籠城した。
1337年(建武4/延元2)正月、幕府軍の主力を投入した攻撃が開始された。義貞は城を脱出し、杣山(そまやま)城(現南越前町)の軍勢を率いて幕府軍を攻撃したが、敗れて撤退。3月、金ヶ崎城は落ち、尊良親王と義貞の子孫、義顕は自害、恒良親王も捕らえられ城は幕府軍に接収された。1337年(暦応元/延元3)義貞らの反撃により、金ヶ崎城を奪還。越前は南朝優勢となる。しかし長期戦の末、翌年幕府軍が取り戻し、その後南朝群は奪い返すことが出来なかった。
二度目は戦国時代、「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる織田信長の撤退戦である。1570年(元亀元)信長は京から近江・若狭を経て越前に侵攻した。激戦の末、天筒山城を陥落させ、金ヶ崎城の朝倉景恒に降伏を迫り、城を接収した。信長は城を修築し朝倉攻略の拠点とする構えを見せたが、近江の浅井長政が反旗を翻して越前国境に迫っていると知り、越前敦賀から朽木を越えて(朽木越え)京へ逃げ延びた。信長はわずか10人ほどの供と京に帰還したという。また後世、信長の妹で長政の妻となっていたお市が両端を紐で固く結んだ小豆袋を届けて、危機を知らせたという逸話も生まれた。信長軍には後の天下人となる木下(豊臣)秀吉、徳川家康、本能寺の変で信長を斃す(たおす)明智光秀もいた。信長とともに彼らも九死に一生を得た。信長が再び敦賀に来るのは、1573年(元正元)朝倉を滅ぼす年である。

中池見湿地 天筒展望広場への自然歩道

2012年にラムサール条約湿地に登録された中池見湿地は、市街地のほど近く、周りを山に囲まれた25ヘクタールほどの小さな湿地です。たくさんの生き物の気配であふれ、田んぼをのぞくとタニシやメダカが、畦道や草原の中を流れる水路の小道を歩くとバッタやカエルが跳び出てきます。季節ごとに変化する美しさと豊かな自然が楽しめます。敷地内にある古民家の隣には天筒山(てづつやま)展望広場への登山口があり、約20分で展望広場まで行けます。

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