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福井市散策 柴田神社/北ノ庄城

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歴史のみち・柴田勝家とお市の方ゆかりの場所、北庄城跡

 

 JR福井駅から徒歩5分、だるまや西武やLoftなどが並ぶ駅前電車通りの近くに、織田信長の元で活躍し、猛将として名を馳せた戦国の武将、柴田勝家とその妻、お市の方ゆかりの場所、柴田神社(北ノ庄城跡)があります。雑居ビルに囲まれた小さな城跡ですが、ここは柴田勝家、お市の方のファンには、ありがたいほど充実した空間なのです。

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 時代は変わり、北ノ庄城亡き後に築かれ、現在は県庁舎が建っている福井城址のお堀周辺は、歴史のみちと名付けられた遊歩道があり、春には 一面の桜を 眺めることができます。

お市の方、柴田勝家ファンにとっては是非見てほしい北ノ庄跡

北庄城

柴田勝家

お市の方

北庄城復元図

柴田勝家

お市の方

柴田神社・北庄城跡

 JR福井駅の正面(西口)から福井駅前電車通りへ、そしてサンロード北ノ庄通りを西に50m歩いていくと、柴田勝家とお市の方ゆかりの場所として有名な北庄城跡(現柴田神社)の参道入り口があります。雑居ビルに囲まれた小さな柴田公園が城跡ですが、ここはお市の方、柴田勝家ファンにとってはありがたいほど充実した空間なのです。

柴田勝家

 柴田勝家は尾張国愛知郡に生まれ、織田信長の重臣となりました。 天正3年(1575年)8月、越前の一向一揆を滅ぼした信長より、勝家は北ノ庄(越前の国の内49万石を与えられ、北ノ庄に城郭を築き、壮大な天守閣を造営しました。 1582年6月2日、本能寺の変により信長が亡き後の10月、お市の方を妻に迎えましたが、羽柴秀吉と対立した勝家は、天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ、4月24日、北ノ庄城にて妻のお市の方と共に自害しました。 お墓はお市の方とともに、福井市左内町の西光寺にあります。享年62歳と伝えられています。

お市の方

 絶世の美女と唄われた織田信長の妹。天文16年(1547年)の生まれで信長より13才年少。 政略的婚姻により2才年上の近江小谷城主、浅井長政に嫁し3女(茶々、お初、お江)をもうけました。 1570年(元亀元年)に、信長が朝倉氏を攻めると、朝倉氏と同盟を組んでいた浅井と織田の同盟は決裂。 3年後、信長により浅井氏が滅亡目前となると、伴だって自決しようとするが、夫・長政、義父・久政に止められ、3人の娘たちと共に織田家へ戻ります。 1582年(天正10年)、「本能寺の変」で信長が死ぬと、織田家筆頭家老であった柴田勝家のもとへ3人の娘たちを連れて嫁ぎますが、翌年に起こった秀吉との「賤ヶ岳の合戦」で勝家が敗れ、勝家とともに北ノ庄城に果てました。 この時、勝家はお市の方に娘たちと共に城を出るように諭しましたが、お市の方は、娘3人を秀吉の陣におくったのち、北の庄城で夫婦静かに杯を交わし、辞世の和歌を残して自害しました。 享年37歳と伝えられています。 (辞世の句) 「さらぬだに うちぬる程も夏の夜の 夢路を誘う ほととぎすかな」

 お市の方は天正10年(1582)10月に再嫁し、翌年の4月24日に自刃していますので僅か6ヶ月の夫婦だったのですね。しかし織田信孝に「勝家に嫁いで下さい」と懇願された時は、「えっ、勝家!」と驚いたでしょうね。でも勝家はとても大事にしてくれたから良かったのかな。 勝家とは25歳の年の差婚でした。

北庄城

 北ノ庄城は天正3年(1575)に柴田勝家が築きはじめて完成をみないまま、天正11年(1583)羽柴秀吉に攻められ落城した事が記されています。慶長6年(1601)結城秀康の福井築城に城跡地は含まれ破壊されてしまいました。城の範囲は不明ですが、足羽川と吉野川(のちの百間堀)の合流点を背にした事が考えられます。江戸時代の文献には福井城の鳩之御門の南、百間堀に突き出た枡形に天守があったと伝えられています。これらの資料に合致するのが、現在の柴田神社の地にあたります。

福井春まつり 「越前時代行列」 桜の名所100選足羽川の桜並木

 戦国時代、越前の国・北の庄城(現福井市)で歴史ドラマをつくった柴田勝家とお市の方は、毎年春(4月)に行われるふくい春まつりのハイライト、「越前時代行列」の主役です。 勝家役に扮する俳優さんと、公募で選ばれたお市の方らと共に、総勢1,200名の武者行列が桜ふぶきの福井の街並を練り歩きます。 さらに、ゴール地点の足羽川左岸河川敷(おまつり広場)では、勝家公とお市の方をはじめ、各隊のパフォーマンスをご覧いただけます。

福井市の基礎を作った勝家

  北ノ庄は度重なる一揆で荒れ果てていましたが、勝家は、まず最初に荒れ果てた城下町を整備し、次に物資の流通を盛んにするため、道路の整備・橋造り(舟橋など)を行いました。 これらの施策によって、荒れ果てていた北ノ庄は徐々に活気を取り戻していきました。  今日の福井市の基礎は、勝家によって作られたものです。 また勝家は、一揆などの発生を防ぐため、領内で刀狩を実施しましたが、これは戦国大名の中で一番最初に行われた刀狩であり、有名な秀吉の刀狩は、実は最初ではなく、二番目に行われた刀狩だったのです。

福井城跡(現在の福井県庁所在地)

 福井城は1601年、越前を与えられた結城秀康により築城が開始されました。 福井城が完成したのは1607年であり、五重の堀を巡らせた、実に壮大な城であったといいます。 1622年、秀康の子である松平忠直が乱行のために改易され、代わりに秀康の弟である結城忠昌が藩主となるなどの一幕もありましたが、福井城は越前松平家の居城として、明治まで存続することとなるのです。 1669年の火災により、天守をはじめとする建物が焼失。櫓などは復興されましたが、天守は再建されませんでした。 また忠昌は、それまでこの地の名称であった『北庄』を、『北が不吉である』という理由から『福井(当時は福居という字が使われていた)』と改めた人物でもあります。

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