敦賀市 金ヶ崎緑地・金崎宮 |
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敦賀観光案内所 TEL 0770-21-8686 |
敦賀観光協会(社) TEL 0770-22-8167 |
港町敦賀の雰囲気が凝縮された緑化公園です。 |
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港の雰囲気が楽しめる芝生の公園が金ヶ崎緑地公園です。ボードウォークで潮風に当たりながらロマンチックな敦賀の気分を味わって下さい。夜はライトアップされていてとても綺麗で、周辺には旧敦賀港駅舎や、2015年10月にリニューアルオープンした赤レンガ倉庫、きらめきみなと館があります。 |
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この広場の隣の小高い山の中腹にある 金ヶ崎宮 は、恋の宮と称され恋愛祈願に多くの人達が訪れる神宮です。春には千本の桜が咲き乱れ、絶好の花見どころとして知られています。この神社から花換の小道というゆるやかな階段を登っていくと、南北朝時代、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場の跡があります。頂上の月見御殿からは、敦賀新港を見渡せます。 敦賀市TOP(敦賀の宿)へ |
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ライトアップされた夜の金ヶ崎緑地はとてもロマンチックで綺麗です。 |
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旧敦賀港駅舎 |
夜の金ヶ崎緑地 |
赤煉瓦倉庫 |
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金ヶ崎緑地公園の北側に建つヨーロッパ風建物群は、令和2年11月3日にリニューアルオープンした「人道の港敦賀ムゼウム」の建物です。敦賀港は、明治から昭和初期にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点としての役割を担い、1920年代にポーランド孤児、1940年代に「命のビザ」を携えたユダヤ難民が上陸した日本で唯一の港です。館内では、数々の苦難を乗り越えて敦賀に降り立ったポーランド孤児とユダヤ難民の史実を中心に、当時の敦賀市民の証言やエピソードのほか、今も続く関係者との心温まる交流を紹介し、命の大切さと平和の尊さを発信しています。※「ムゼウム」はポーランド語で「資料館」を意味します。 |
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■ 旧敦賀港駅舎 |
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金ヶ崎緑地公園に隣接する旧敦賀港駅舎は、「欧亜国際連絡列車」の発着駅であった敦賀港駅舎を再現した建物で、現在は敦賀鉄道資料館として利用されています。「欧亜国際連絡列車」は、明治45年6月から新橋〜金ヶ崎(後に敦賀港駅と改称)間で運行さた列車で、敦賀でウラジオストク直行の船に連絡し、ウラジオストクからはシベリア鉄道を経由してヨーロッパへと通じていました。当時、日本からヨーロッパへの移動は、船を利用して1ヶ月もかかる長旅でしたが、欧亜国際連絡列車とシベリア鉄道経由のルートでは、東京〜パリ間をわずか17日間で結び、多くの人々や文化を運びました。このことから敦賀はシベリア鉄道経由でヨーロッパと結ぶ玄関口だったといえます。 |
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■ 赤煉瓦倉庫 |
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金ヶ崎緑地公園の東側に2棟並んで建っている『赤レンガ倉庫』は、福井県内でも有数のレンガ建築物。2009年1月には、北棟・南棟・煉瓦塀が国の登録有形文化財に登録されました。外国人技師の設計によって1905年に建てられた当時は石油貯蔵庫として使われ、数年前までは昆布貯蔵庫としても使用されていました。2015年10月には、敦賀の明治後期から昭和初期のまちなみを再現して史実とエンターテイメント性を両立させた「鉄道と港のジオラマ」、「敦賀ならではの魅力的なレストラン」を備え、歴史と文化と食を楽しむことができる新たな観光施設として生まれ変わりました。 |
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■ きらめきみなと館 |
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舟の煙突をイメージした外観が港の風景にぴったりのイベントホール。 |
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■ 敦賀市立博物館 |
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敦賀市立博物館は昭和2(1927)年に竣工した旧大和田銀行本店建物を活用した博物館で、北陸初のエレベーターが設置され、レストラン、迎賓館、集会場など、銀行でありながら公共性も兼ね備えていた近代建築物です。レトロで趣ある建物内は、当時の面影がそのまま残っていて、敦賀の歴史文化を物語る資料なども展示されています。 |
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