福井  福ふくガイド http://www.fuku2.co.jp/  福井
勝山市 平泉寺

〒911-0822 福井県勝山市平泉寺65

勝山観光協会 TEL 0779−88−1111

自然美と史跡の平泉寺と、その周辺のご案内

 

 境内の見事な苔で知られる平泉寺白山神社は養老元年(717年)泰澄大師により開かれ、白山信仰の聖地と言われています。源平時代には48社36堂6千坊があったとされますが、天正2年(1574年)一向一揆の兵火にかかり、現在の拝殿はもとの大拝殿の10分の1に過ぎません。それでも千年前の石畳参道や当時の礎石などが今でも残り、じゅうたんを敷きつめたような青苔の美しさとともに美しい自然の姿を見ることが出来ます。

平泉寺の画像  勝山市TOPへ

交通のご案内

JR福井駅から平泉寺まで、松岡ICより中部縦貫自動車道を経由して約35、4q

北陸自動車道福井北JCTから平泉寺まで、中部縦貫自動車道経由で約28、3q

中部縦貫自動車道勝山ICから平泉寺まで約10、3q

えちぜん鉄道勝山駅から平泉寺まで約5、6q

福井県立恐竜博物館から平泉寺まで約7、7q

中部縦貫自動車道大野ICから平泉寺まで約6、6q

史跡 平泉寺白山神社

  福井、石川、岐阜の三県にまたがる白山。古くから信仰の山として富士山や立山と共に日本の三名山と仰がれました。そして白山は、福井県が生んだ偉大な宗教家、泰澄大師によって開かれ、ここ平泉寺白山神社も大師によって養老元年(西暦717年)に創立されました。以来、平泉寺は白山への表参道として、更に中世には四十八社三十六堂六千坊が建ち並び、多くの僧兵を擁して大いに栄え、この時代には福井県(当時越前)の宗教、文化、武力の中心として、強力な勢力を誇っていたと伝えられています。天正2年(1574年)に加賀の一向一揆の乱入によって全山ことごとく焼失してしまい、また明治4年(1871年)に、白山は加賀に編入され、同時に神佛分離の命令によって、寺号を棄て、白山神社となって今に至っています。現在の平泉寺白山神社の境内は、戦国時代に中心伽藍が建ち並んだ部分に当たります。苔の中には、かっての三十三間拝殿や大講堂の礎石を見ることができます。

白山平泉寺旧境内 旧参道〜平泉寺〜南谷坊院跡

  境内の西側に広がる、山村、田畑、集落は、かって六千坊と呼ばれた坊院郡が存在した場所です。平安時代後半には天台宗比叡山延暦寺の末寺となって発展し、最盛期の戦国時代には、48社、36堂、6、000の坊院が建ち並び、寺領は9万石・9万貫、8、000人もの僧兵がいたと伝えられています。平成元年(1989年)から始まった発掘調査によって、当時の遺構がそのまま平泉寺区の地中に埋もれていることがわかりました。さらに遺跡の広大さや保存状態が全国屈指であったため、旧境内全域が国史跡に指定され、名称も「白山平泉寺旧境内」となりました。発掘調査に伴い整備された南谷坊院群発掘地では中世の遺跡としては国内最大級の見事な石敷道、名付けて中世の石畳道と、斜面を段だんに整えながら続く坊院群の跡を見ることができ、門や土塀の復元なども行われています。

白山平泉寺歴史探遊館 まほろば

  平泉寺の駐車場に隣接して建てられた平泉寺の資料館。入館して左手にある【中宮白山平泉寺境内図】の鑑賞をお薦めします。 現在は静寂に包まれた平泉寺白山神社ですが、天正2年(1574)の一向一揆による全山焼失前の様子が描かれています。 平泉寺白山神社の参道を進み 三十三間拝殿跡を鑑賞する際 【中宮白山平泉寺境内図】に描かれている三十三間拝殿の姿をイメージして訪問すると 平泉寺白山神社の魅力をより深く感じることが出来ると思います。

歴史探遊館 まほろば 開館時間 9時〜17時 休館日 毎週水曜日と年末年始

 TOPへ戻る

 福ふくガイド管理人室

 福井県マップ
このページへのご質問等は管理人室の掲示板へどうぞ♪
Copyright (C)2002 fuku2.co.jp All rights reserved.