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越前町 鯖浦線 陶の谷駅跡

〒916-0273 福井県丹生郡越前町小曽原

越前町宮崎事務所 TEL 0778-32-2000

福井鉄道、鯖浦線の当時の面影を残す陶の谷駅跡の紹介

 

 鯖浦電鉄後の福井鉄道、鯖浦線(東鯖江※現JR鯖江駅〜西田中〜織田)は、大正15年10月、鯖江〜佐々生間、さらに昭和3年11月には、佐々生〜織田間が開通し、昭和47年6月に廃線となるまでのおよそ47年間、郡内交通の大動脈として、文化の発展、経済の開発に画期的な役割を果たしました。現在その面影を残す唯一の駅跡が宮崎村の寺にある、陶の谷(すえのたに)駅跡です。

宮崎村TOP

画像の説明 1〜2枚目…水落駅 3枚目…日野川鉄橋 
4〜5枚目…陶の谷駅跡 6枚目…宮崎村1本杉 7枚目…終点の織田

 昭和47年6月に廃線となった鯖浦線は、鯖江と越前町の四ヶ浦を結ぶために計画された鉄道でしたが、織田から先は鉄道施設に不利な条件が多く、結局は 鯖江から織田 までの約19kmの路線として、大正15年の一部開通、昭和3年の全線開通を経て、約47年の間、地域の人々の重要な交通手段としてその役割を果たしました。鯖浦線沿線の町村から鯖江市や福井市方面へは、現在の水落駅にて福武線に乗り継いで移動していましたが、さらにその以前は、東鯖江(現JR鯖江駅)から現在の保健センター手前で坂を上がり水落駅手前付近を通過して西へ線路が敷かれていたようです。 宮崎村寺にある陶の谷(すえのたに)駅跡は、駅舎はないものの、ホームの石垣や駅名の看板、廃線後に再敷設されたわずかばかりのレールが当時の面影を強く残しています。 また、この駅跡がある宮崎村寺の交差点より東へ200mくらいの田んぼの中に、「これやこの行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬも逢坂の関」と百人一首の中で唄った蝉丸の墓があります。諸国を流浪の果て、越前の宮崎村にたどり着いた蝉丸は、この静かな村の野や山に美しい琵琶の音を鳴り響かせていましたが、ある時、1軒の農家に滞在中、病を得てこの地で果て、遺言により、この場所に埋葬されたとの伝説が残ります。現在、路線跡の一部(鯖江の西環状線から日野川の橋(平成橋)を渡り、朝日町西田中までの区間と、宮崎村の花みずき通り)は、サイクリングロードや遊歩道として整備されています。

オレンジ色のラインが鯖浦線の跡で、ハイピースと寺の交差点の中間に
佐々生(さそう)駅、寺交差点角に陶の谷(すえのたに)駅がありました。
鯖江駅から水落駅付近までの路線跡地は、全く残されていません。

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