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永平寺町 永平寺・松岡エリア散策

〒910-1192 福井県永平寺町松岡春日1−4

永平寺町庁舎 TEL 0776−61−1111

県内では清流として知られる九頭竜川流域にある永平寺町

 

 九頭竜川中流域に位置する永平寺町。曹洞宗の大本山である永平寺、永平寺を建立した波多野家の一族が築造した波多野城跡も残る城山(じょやま)登山道、九頭竜川と周辺の山々の美しいロケーションの中に九頭竜川の保全を目的に造られた鳴鹿大堰などがある永平寺エリア、福井大学医学部、福井県立大学などの学生さんたちが集い、新永平寺町の庁舎所在地である松岡エリア、道元が最初の一冬を過ごしたとされる吉峰寺がある上志比村エリア等の見どころをご紹介します。

永平寺町松岡周辺 永平寺の画像

鮎料理専門の食事処 

御料理ふ志多(松岡町)永平寺から車で20分

永平寺周辺の宿

料理民宿 ふくざわ(丸岡町)永平寺から車で20分

永平寺の新しい門前

旧参道の再生と旧参道沿いを流れる永平寺川の改修などにより永平寺の門前が再構築されました。お土産屋が並ぶ現在の門前は昭和5年頃に造られたもので、今回整備された新しい門前は、元々、門前の通りがあった場所です。新しい門前に永平寺が整備した宿泊施設、柏樹関では禅コンシェルジュがサポートする坐禅体験や好きな時間に写経体験が出来るなど、禅に親しむ宿としての禅体験のラインナップが用意されています。

永平寺の大燈籠流し

毎年8月最後の日曜日に行われる永平寺町のイベントが永平寺大燈籠流しです。曹洞宗大本山永平寺の役寮、雲衲衆約120名による大施食法要が営まれた後、先人たちへの「愛と感謝」、供養の想いを込めた約1万個の燈籠が九頭竜川の河川に流され、川面に幻想的な光の帯をつくります。その規模は河川で行われる燈籠流しとしては日本一。クライマックスには色とりどりの打ち上げ花火が夜空を染め、光のパレードは 最高潮に達します。また、地元商工会によるゴムボート川下り体験や飲食コーナー、コンサートなどいろいろなイベントも行われます。

波多野義重公と永平寺

鎌倉時代の御家人であった波多野義重公は、承久の乱(日本史上初の朝廷と武家政権の間で起きた武力による争いで、朝廷側の敗北で後鳥羽上皇は隠岐に配流され、以後、鎌倉幕府は、朝廷の権力を制限する)の戦功により、志比庄の地頭となり、越前波多野氏の祖となりました。義重公は、京都で六波羅探題評定衆(京都で朝廷を監視する)を勤める中、道元禅師と親交を深め、1243年に志比庄に道元禅師を招き、禅道場を建立しました。当初は、義重公の法名、大仏寺殿如是元性大居士から吉祥山大仏寺と名付けられましたが、後年、永平寺に改名されました。

永平寺の歴史

比叡山からの弾圧、旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより、興聖寺(京都市伏見区)を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになる。寛元元年(1243年)のことであった。当初、義重は道元を吉峰寺へ招いた。吉峰寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中(旧上志比村)にあり、道元はここで一冬を過ごすが、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。
道元以降の永平寺は、2世孤雲懐奘、3世徹通義介の下で整備が進められたが、義介が三代相論で下山し、4世義演の晋住後は外護者波多野氏の援助も弱まり寺勢は急激に衰えた。一時は廃寺同然まで衰微したが、5世義雲が再興して現在に至る基礎を固めた。元和元年(1615年)、江戸幕府より法度が出され永平寺と總持寺が曹洞宗の大本山となり、現在に至っている。永平寺の建物は度重なる火災に見舞われ、現存の諸堂は全て近世以降に建てられたものである。※現存する古い建築物では、延享4年(1747年)築の山門、1839年築の勅使門(唐門)、法堂は天保13年(1842年)築。法堂へと続く回廊は昭和の建築物です。

城山(じょやま)登山と波多野城跡

永平寺町花谷地区にある越前波多野城城山(じょやま)は標高473mの山で、約1時間ほどで登ることが出来る初心者向けの山です。山頂付近からは永平寺町内を流れる九頭竜川や、天気の良い日には坂井平野、遠く日本海まで一望することが出来ます。山頂には道元を導いて永平寺を建立した波多野義重公(鎌倉時代)の子孫で、南北朝時代から戦国時代にかけての当時の波多野家当主が築造した山城の遺構が見られ、歴史ロマンを感じます。登山口には10台ほどの自家用車が停めれる友遊広場駐車場があります。電車でお越しの場合には、えちぜん鉄道永平寺勝山線の光明寺駅が最寄駅になり、駅から登山口までは徒歩約10分です。

永平寺じょやま会と登山道整備

福井県指定史跡に認定された城山を、昔のように子どもたちが遊び、町内外の人たちからも親しまれる山にしたいという思いから永平寺町花谷地区のメンバーが立ち上げたボランティアサークル。地元志比小学校の生徒さんたちが制作した登山道案内看板の設置、階段作り、ベンチ作り、草刈りなどの整備活動、子どもさんたちとの学習登山や甲冑行列でのふれあいなどを通じ、じょやまの永続的な保存と発展に貢献しています。令和3年7月11日には、昔からじょやまに伝わる館と山城を繋ぐ連絡道、馬車道街道を、山頂付近を起点とした登山道として復活することになりました。

城山(じょやま)と波多野一族

城山は戦国時代当時の波多野家当主が、南北朝時代から戦国時代にかけて山頂部を中心に築いた山城跡です。戦闘に即応でき、かつ優位に戦えて在地支配の拠点となりえる山稜上に城郭を構えました。城山は、河川や農耕地を把握でき、交通や戦略上の要地をおさえる山として選ばれたのです。城山の山頂を中心に尾根の頂部、斜面、谷部などに 「郭・堀切・小土塁・土橋・井戸など」の数多くの遺構が残されています。いずれの遺構も遺存状態は大変良く見応えががあります。

九頭竜川と周辺の山々が織りなす美しいロケーション 鳴鹿大堰の様子

鮎釣り

鮎釣り

鮎釣り

松岡町エリア

永平寺町エリア

上志比村エリア

松岡町、永平寺町、上志比村が2006年に合併し、永平寺町となりました。

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